F1 1993 ロータス・フォード 107Bは恐怖のマシンだった⁈
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- Опубликовано: 12 апр 2025
- #F1 #1993 #ロータス #フォード #107B #JohnnyHerbert #AlessandroZanardi #Lotus #Ford #ジョニーハーバート #アレッサンドロザナルディ
1993年のロータスフォードの特集です。第1話は107Bの恐怖についてのお話です。
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ジョニーにはベネトンよりもロータスが似合っていたと思います。ロータスで優勝出来たら最高でした!
うんうん、私も1票入れます!その通りです!
このロータスを観て、「疲れてなんかいられない」の薬のCMを思い出します😃
私は93年の日本GPの決勝レース中に鈴鹿のダンロップコーナーの所でペドロ ラミーが乗った107Bがコースアウト、マシンが私が観ていたN山エリア側のガードレールにぶつかり、ドーンという音がしました。幸いにドライバーは無事で、マシンはコース外にとどまり、レースに支障はありませんでした。
107はスタイリッシュでカッコイイイメージです。
クリス・マーフィーのデザインした車はどれもシャープでカッコイイと思います。
107は無限エンジンを得て、バランスが崩れたにもかかわらずそこそこ速かったのにはワクワクさせられました。
93年序盤戦と言えば「セナ奇跡の2連勝」ですが、ロータス107Bとハーバートが一番走れていたのも同時期でした(4位2回)。マクラーレンMP4/8は傑作ですが、もしもアンドレッティ&ハッキネンだったらインテルラゴス&ドニントンでハーバートが表彰台に上がった可能性充分有りました。今思えば、開幕戦ギリギリでシーズン参戦を決めたセナの決断で物事が一番悪い方向に進んだのがロータスだった。気がします。
このインテルラゴスでのハーバートとシューマッハの鍔迫り合いは本当に見ごたえのあるものでしたね!
さて93年のロータスで一番記憶に残るのはピットに設置されたサーフボードのごとき板。
これのおかげでフロントとリアをジャッキで持ち上げる必要がなくなる!という画期的な発明ではあったようですが
古館さん曰く「紅茶キノコのごとく消えていくのでありました」と揶揄される始末でした。
ピットにあんなもんが置かれたのは後にも先にも、このロータスだけだったのでは?と思いますね・・・😂
確かにあのアイデアはなかなか出で来ないですよね!でも実戦投入する前にしっかりテストしなかったんでしょうかね?実戦投入するまでにわかりそうな理由で終了してましたもんね!
107B好きです。ザナルディがサンマリノで火吹いたりスパの予選で派手なクラッシュしてましたよね。前半戦あたりはホイールのリムがシルバーに塗装されていてカッコいいんですよー
ハッキネンの話は初めて知りました。ウィリアムズに移籍していたら人生変わってましたね。それにデイモン・ヒルの人生も変わっていたかも…
ハッキネンもヒルも後にチャンピオンになったが巡り合わせって不思議ですね。
ホントですね ハッキネンを思う 時よくぞ速さを失わずにまる6シーズンも走らないマシンで頑張れたなと思います 普通ならスポーツ選手として賞味期限切れになると思う F3の時からミカハッキネンは抜き出た存在だと言われていましたよね ミハエルが無敵になって行くのを見ていて同等の道具を手にしたらミカの方が早いだろうと思っていたのでタイトルを取った時とても嬉しいのと安心したのを覚えている
毎度です♪
107Bはブラジルでジョニーがミハエルとやり合ったのを思いだしましたねー。
107Bはフルアクティブ搭載は知ってましたがHパターン6速だと勘違いしてました。セミATも搭載されてたのは知りませんでした。資金難の中、やりくり大変だったでしょうね。ジョニーが最終戦の終わりに、107Bをここに埋めてやりたいって発言から苦労が垣間見えますね。ミカプロのコンビも見てみたかったですねー
毎度です!ミカプロはどうだったんでしょうかね〜?ヒルと比べてみたいですな!
お疲れ様です~
五カ年計画も93シーズンから陰りが見え始めて、ピーター・コリンズも思っていた程の戦績が出ずにチーム全体が焦っている様に見えましたね。
毎度です。チームが浮き足立っている感じありましたよね。2年目まで順調だっただけにこの3年目にかける気持ちが多めでライトさん肝入りのアクティブサスに超巨大不安要素とはチームがグラつきますな…でもセミアクティブにセミオートだけだったらどうなっていたんでしょう?目標の優勝に届いていたのか⁈それも無理だったでしょうね〜。コリンズさんにとっては本当に難しい3年目だったでしょうね〜
この年のロータスは序盤戦、ハーバートの活躍でインテルラゴス、ドニントンと連続4位入賞があり今後の飛躍が期待されたのですが…如何せん先立つ資金がなくジリ貧になりましたね。そしてザナルディのイモラでのクラッシュ、カタロニアでのシューマッハの猛追に水を差すオイルばら撒き事件。挙句スパでの大クラッシュと話題に事欠かない年でした。何よりこのマシンの致命的なところはせっかくアクティブサスを導入していてもギアシフトがセミオートマじゃなくマニュアルだったこと。これに尽きると思います。
それでも見たかった、ミカのウィリアムズ入り。実現していればおそらく93年の最多ポールはミカだったのではと…。
もっと早くその速さを世間に知らしめてはず。
しかし、94年のサンマリノのタンブレロはミカだった可能性もあったかと思えば、複雑。
ミカのウィリアムズは見たかったですよね〜。プロストとのバトルになればこりゃまたプロストさんも引退なんて言ってられなかったかもしれませんし!プロフェッサーとどう戦ったのか興味湧きますな!
107Bって言うと思い出に残ってるのは、第2話で出てくるとは思いますが、ピットにサーフィンボードみたいなのが敷いてあって、そこの上にマシンが来た時にアクティブサスを動作させて、ジャッキなしでタイヤを浮かせるってのやってましたよね。あとは無駄にかっこいいシオノギ製薬のポポンSのCMぐらいかなあ
ロータスはファクトリーの近代化をしなかったツケが回ってきた感じですね。他チームはファクトリーの近代化と拡大を積極的にしていましたから。
セナから「だんだんマシンの出来が悪くなってきている。」て言われていたぐらいですから・・・
ピーター・コリンズが入って少しずつ復活するのかなぁと思っていたけれども、やっぱり資金難でむりでしたね。
そうなんですよね~。圧倒的に資金が足りないんですよね。その中でコリンズさんはよくやったと思うんですが、ロンデニスほどの資金源を探り当てられなかったのが経営者としての泣き所ですね~。
ロータス107Bに関しては誤作動を起こしてダウンフォースゼロのなるマシンを3人のドライバー達がほぼ無給(ハーバートは本当に無給)でよく乗っていましたね。あとフランク・ウィリアムズの大ポカがなければミカ・ハッキネンはもっと早くF1初優勝をしていたりチャンピオンになっていたかもしれませんね。
お疲れ様です♪ロータス5ヶ年再生計画3年目、残念ながら92年がピークだった訳でw このシーズンの「THE・横浜中華街マシン」の大コケが名門復活のかすかな希望に致命的なトドメを刺してしまいましたねぇ。グランプリ有数の老舗とはいえ、この辺がプライベーターの限界だったと思います。ハッキネンの契約問題、結果的にはマクラで良かったんじゃないでしょうか?ハッキネンはその実力ゆえに、トップチームのベテランドライバーには必要以上に警戒されるタイプでしたからねw いずれにしてもロータスの人材流出は87~88年頃から建て直しが不可能なほど深刻な状態でしたから、残念ながら消えるべくして消えたチームだったんでしょうね。 今回も懐かしかったです!ありがとうございました☆
同感です。プライベーターにはここが限界だと私もおもいましたね。この上はなかなかいけるものてはなかったと
ザナルディには申し訳ないですが、
93年はハーバートチームロータスでした。
彼はかなりチームロータスに貢献してましたね
この年、無限エンジンを手に入れて
108を投入していたら未来は変わったかも…
資金難で何もかもが後手後手になっていたのでしょう
92年の改良型でシーズンを乗り切れる程、F1は甘くないですね
それでもシーズン前半はそれなりに
速かったのはジョニーの頑張り以外ないと思います。
但し彼は、チーム愛が強すぎて自身のピークと移籍のタイミングを間違いましたね
ミカのようにあっさりとトップチームに加入していたらおもしろい展開になっていたのでしょう
当時はデーモンヒルやクルサードも
未知数だっただけに活躍のチャンスはあったはずですがね~
ピーターコリンズに義理を立てたのでしょう
毎度です。そうなんですよね~ハーバートさんはもっと活躍して良いドライバーだったと私も思います!
お疲れ様です!フランクの件は笑うしかないですよね。さて、107Bはちょっともっさり感があり107の方がカッコイイですよね!他の人がコメントしてるジャッキ使わないでタイヤ交換はなかなか考えられてましたが、やっぱり人間がジャッキアップした方が早いですよね。あとヘルメットのバイザーにヘッドアップディスプレイも開発してましたよね。やっぱりロータスは何かやってくれるチームでしたよね。資金があり、無限エンジンで…
と思うと、復活して欲しかったなぁ!と思ってしまいます。その後に名前だけが残るチームになってしまったのは残念ですね…
ハーバートがブラジルでの激走は今でも忘れません!
毎度です!ロータスのチームの個性はF1になければならないものだったように想えるんですよね〜。何があってもチーム消滅だけは避けて欲しかったと思うんですよね。
この当時の日本企業スポンサーは多種多様でしたね。
御世話になります。
1992年ロータス107セミアクティブサスペンションで走行データを収集して1993年ロータス107Bフルアクティブサスペンションのセッティングに生かす?と言う流れでしたが、
1992年のセミアクティブサスペンションのスイッチ(油圧ポンプ)をオフにしてパッシブサスペンションで走っていたから意味無いですが?
フルアクティブサスペンションは、パッシブサスペンションには戻せないです。泣
1987年ロータス99Tは、完全なフルアクティブサスペンションでしたね(油圧シリンダーの伸び縮み両方アクティブのダブルアクション方式)
1987年の99Tでも、誤作動はあったような記憶があります。開幕戦の金曜の午前のプラクティスで、中嶋悟が、やはり、亀の子状態になり、バリアに滑っていったというようなことを、中嶋さんの参戦記をまとめた本に書いてあったと思います。
ロータスにとってみれば「ウチがアクティブサスの本家本元!」というプライドがチーム内にあったのだろうけど、結果的にそれ以外の開発に予算を充てられなくなったのが痛恨でしたね。
しかも翌年チーム自体まで消滅するとは…
そうなんですよ〜。でもコリンズさんの目標はあくまでも優勝。ここで攻めないわけにはいかなかった。だけど攻めたら失敗。チーム消滅。本人は後悔ないと言っていますがチーム消滅はどう判断すれば良いのか…やっぱり寂しいですよね。
アクティブカーの集大成だった93年。ロータスも技術を振り絞って生み出した107Bでしたネ。まぁしかし、当時のコンピューターの能力からして、やはりエンジニアの様々な差が盤石なマシンとスリリングなマシンの差を生み出していたのでしょうか。94年以降ももしアクティブカーが開発されていたら、どんなシーズンになったのか。想像が広がりますネ。
94年もアクティブ有効だったら、ロータスのオリジナルだと厳しかったかもしれませんな〜。タグからフットワークのように買っていたらかなり軽量マシンと共にとんでもない戦闘力になっていたかもしれませんな!
毎度です。うぷ主さんが「カストロールに媚を売って赤が増えた」とおっしゃいましたが、赤はこの年スポンサーになったロックタイトのイメージカラーだったはずです。ロータスはこの年からの車体変更レギュレーションにうまく処置できなくて、フルアクティブサスペンションのセッティングが上手くいかない事が多かったとか。
毎度です。なるほど~。そうだったんですね~。フォローありがとうございます!
カストロールカラーは緑です。
スーパーバイクのHRC 白緑赤 イタリアカラー🇮🇹ですね。
カストロールロータスと言うのですか…僕は今まで塩野義ロータスと呼んでました😅コレほんとーーーにカッコ良かったですよね➰後々の没落ぶりが悔やまれる…因みに噂のいすゞエンジンを乗せていたらどーだったのだろ~
私の妄想だといすゞV12は102もしくは107では剛性不足が露呈してうまくいかなかった事になっております。ウフフ
はぁ😞💨⤵️テストでゎそこそこ良いタイムを出したと別動画で見たので期待大でしたが…ボディがペラッペラかぁ~って色んな妄想できる良い時代でしたね➰🤣
赤いステアリングに赤いシート
名門ロータス復活の狼煙をあげる
イメージが強かった107Bのコックピット
あの赤のステアリングとシートは素敵だしたよね~
何故か日本のスポンサーが多かったね。日立やコマツ、タミヤやシオノギなんかもそうだね。
日本物産ってゲームソフトメーカーもロータスのスポンサーでした。同社からでていた「F1サーカス」というスーファミソフトで遊んでいた事がありました。FOCA公認のゲームソフトで、サーキットやチーム名、そしてドライバー名も実名でしたよね。
@@nobu-u5i 様 ハイハイありましたね。ゲーム遊んだかも?実名だったし。確かジャックビルヌーブだけはアウトだった?
@@kazyama8282 ジャック ヴィルヌーヴの件は確か、プレステの「Formula1 99」の時だったと思います。ゲーム内ではJV(ジェイヴィー)というイニシャルで呼ばれていました。
ハーバートのシンプソンズのヘルメットはめちゃくちゃカッコ良かった。
ハッキネンの話は初耳。どこで情報得てるんですか? 最近この頃(90年代前半)のF1、ほんと良い時代だったなぁと感じる40代です
私の情報は過去のF1グランプリ特集、GP Car story、後はYahoo U.K. からの検索とかですかね。イギリスのMOTOR SPORTのサイトなんかも過去の記事をアップしているのでそちらも読んだりしますかね。
ピットイン時にジャッキ不要のサーフボードみたいなパーツを使っていましたが、ほどなくやめていましたね。
ハッキネンがウィリアムズに行っていたら…91年のアレジよりもイメージが出来ないです(笑)マクラーレン入りはまさに運命ですねやはり。
毎度です。ですね、ハッキネンのウィリアムズはイメージないですよね~。93年のウィリアムズはプレッシャーが半端なかったでしょうからね。マクラでよかったかもしれませんね。
この年のロータス カラーリングが素敵なだけに残念ですね
この翌年無限エンジン搭載で飛躍・・・できず、、、残念です
ここからが苦しいんです。94年の特集は色々気が重いっす。
107はきれいで好きでした、107Bは白が多くて何かいまいちな感じがしてたのですが今となっては現実的な選択だったのですかね、いや今更ながら勉強になります!やっぱ興味のあることにたいしては記憶力爆上がりですw
あはは😁わかります。私も動画作るために文献あさっていますと当時の記憶がモリモリ出てきます!
ロータスかあ
懐かしいなあ
お疲れ様です。ウィリアムズの93年のエントリー忘れの件は、マンセル放出に反対した元チーム関係者の工作という話を聞いたことがありますけど、真相はどうなんでしょうね🤔
結局ハッキネンとプロストのコンビは幻に終わりましたけど、その後マクラーレンでドライバー(ハッキネン)とアドバイザー(プロスト)という立場で一緒に仕事をすることになるんですからわからないものですね。
ほ~、そんな反逆者の画策の可能性があったんですね!知りませんでした!なかなかの闇ですな!
ロータスも99T辺りからどんどん資金難に………f1撤退後ハコの世界に行ってもあまり結果残せず(エスプリgt1でポールを取ったくらい)
鈴木亜久里選手が乗って3位になったLC90の正常進化型て感じの見た目で好き
ロータスはアクティブサスペンション(©︎だから)、ウィリアムズのはリアクティブサスペンション。
ウィリアムズがエントリー忘れてなければ、昭和シェル石油のCMで、ハッキネンは見られなかったことになりますねw
そう言う事になりますな!そこにはマンセルさんがいたりして?!
ラジコンの107Bも格好よかったなぁ…。🥺
この車体に、いつも無限HONDAが載ってたら?って想うのは、自分だけではないはず…。😅
確かロータスのアクティブサスペンションはコマツと東京大学の技術が入っていませんでしたけ?
93年のロータスてピットにサーフボードみたいな板があってジャッキアップしないでタイア交換してような?あれてアクティブサスだから出来たのかなぁ?
そうですね!次回解説させていただきますよ!
気付いたら無くなってなかったですか?
ロータスの終わりの始まりの序章。
フォードHB V8 シリーズ5の割にはそこそこ速かった気もします ただジョーダンやティレル同様に壊れましたけども。。。 フルアクティブ・サスペンション、80年代から90年代序盤までのコンピューターの処理速度や容量では時代を先取りし過ぎたものだったのかもしれませんね💦
今の時代のスマホ📱の何十分の一ですから ( ;∀;)
ロータスさんはイメージだけご先に行き過ぎていてフルアクティブへの浪漫も追っちゃいましたね〜。今アクティブサス作ったらどうなるのか見てみたいですな!
てかフランクエントリー忘れるって凡ミスにもほどがある笑
ですよね~。
93年にアクティブサスを研究するのはいいが、結局、禁止になったんだから、どうしようもない。